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その思いは空気をふるわせたか

立川談春『赤めだか』(扶桑社)を読んだ。
一気読み。評判に違わぬ面白さだった。
ここまで文章に引き込まれたのは本当に久しぶり。
「女々しい男らしさ」「饒舌な寡黙さ」。そんなことを思った。

談志があるときこんな話をしたという。

 お前に嫉妬とは何か教えてやる。
 己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を
 口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、
 これを嫉妬と云うんです。(中略)
 本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送れば
 それで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。
 (中略)
 その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。

「お前」と荒っぽくふって「云うんです」と丁寧に締めるところが
たまらない。自省的な言い回しが心に響く。
それはさておき……。

談志がこの話を談春にしたのは、
ごく簡単にいえば後輩・志らくが入門してきたから。
高田文夫の紹介で入門した大卒の志らくは、
当初から相当な技術とセンスを持っており、
談志にも寵愛されていたという。
つまり談春は志らくをねたんでいたんだそうだ。

そう、男はねたむんです。
女々しいんです。
男だからこそ、女々しいという表現が
成り立つくらいですから。
なんて、開き直ってる場合じゃない。
二ツ目になるためには、もちろん真打ちになるためには
師匠に認められなくてはならない。
それ以上に、そもそも惚れ込んで弟子入りした師匠には
目をかけられたいし、ほめられたい。
談春は弟子からの師匠への思いを
「子供が母親に向かって駄々をこねるように」と書いた。
男が男に惚れる。人生をかけて弟子入りする。
真剣だからこそ、感情がむき出しになる。
その必死さゆえの女々しさが、僕には男らしく見えた。


「師弟関係は恋愛にたとえるのが一番わかりやすい」
とは立川談四楼師匠の言葉だそうだ。
恋愛にたとえられるほど、師弟関係のもつれは面倒だ。
その最たるものが人間国宝・五代目柳家小さんに破門され、
立川流を立ち上げた家元・立川談志との関係
といえるのではないだろうか。

落語界最大のタブーともいえるその関係に、談春はあえて仕掛ける。
なんと真打ち試験を兼ねた連続独演会のゲストに
小さんを招くことを画策するのだ。
そして意外にも、小さんはあっさり快諾。
談春を介して、小さんと談志の距離は近づくかに見える。
手打ちとなるか、否か……このくだりはぜひ本でどうぞ。

本はあくまで回顧録。
だから現在進行形では語られなかったことが、
各方面からの発言で明らかになっていく。
「当人のいない場ではいつも小さんは談志をこう評していた」とか、
談春を抜いて弟弟子の志らくが真打ちになるとき、
春風亭小朝があることを談志に問うたとか……。
語りのプロたる談春の情景描写で、
ひりひりするほどの沈黙が伝わるからこそ、
その裏に隠された男の心意気、気遣いがあぶり出される。
でも、きっと当人どうしには、何かが伝わっているはずだ。
そう思いたい。
言葉にならない思いが、わずかに空気をふるわせていると。



男のくせに女々しい。
しかとを決め込んでいるようで恩義を忘れたことはない。
白黒つかないグレーな人間模様。
江戸に開花した芸能にたずさわるからこその
メンタリティなのかも知れないが。
かっこいいなぁと聞き(読み)惚れた。


談志は言う。
「落語とは人間の業の肯定である」。
落語を聞こう。
その笑いが僕らを祝福してくれる。



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( 2009.04.30 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:0 ) ( TRACKBACK:0 )
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