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論理を超えた力を論理的に語ることが無駄ならば

またも伊坂にやられた。
「チルドレン」(講談社 2004)の登場人物・陣内にやられた。
そこで思ったこと。

そもそも相手の話を聞いて、
本当に納得するなんてことはあるんだろうか?

論理的に話せば可能?
つまり、事柄や考えを整列させ、
あるひとつの点に着地させれば可能だと?
いや無理だよ。不可能だ。
まぁ、相手は何か心に引っ掛かりながらも、
うなずくかも知れないね。
せいぜいが、そこまでだ。それは「説得」でしかない。

この一字違いの言葉には大きな隔たりがある。
だって「納得」には、言いたいことと、言ってほしいこと、
ふたつの対立があるから。
「説得」するときの論理性は、自分の言いたいことを最大限、
相手に伝える手段でしかない。
そこには相手の言ってほしいことを
巧みにすくいとる網は存在しない。
そう考えると、納得するなんてことが今までこの世の中に
あったのだろうか? なんて気にもなってくる。

堅苦しく考えるなって?そうだよね。

まぁ、そこでだ。
そこで、恐るべき子ども(たち)・陣内だ。
彼に論理性はほとんどいない。
そして、それを彼に求める人間は、
つき合うほどにゼロになる。
彼は振り子なんだ。
断定的に無茶苦茶な理論を熱っぽく広げたかと思うと、
あっさり反対のことを言い出す。しかも、また断定的に。
ただ彼には一貫性がある。
極論と極論とをパンクロックのスピードで往復する。
その危なかっしい安定感。
つかみどころのない自然体。
だから不思議と陣内の言うことに、相手は「納得」する。
陣内に、その存在に、言葉に、その不定形な何かに、
相手は言ってほしい何かを見い出すのかも知れない。
もしくは振り子の催眠術か。

四角四面で、
メリットとデメリットを比較し、
そつなさと要領のよさを追求する現代に、
伊坂はこんな人物を要求する。
僕も大賛成! そんな伊坂の祈りに僕も一口乗るよ。



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( 2006.09.20 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:0 ) ( TRACKBACK:0 )
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